あー、ライブに行きたいなあ。

 筋少の…。今の彼らの音を聴きたいな。
 先日書いたものを読み返して反省した。あれも正直な気持ちではあるのだが、好きなくせにバカにしてんだぜみたいな。失礼だね。現在の彼らは私の知っている筋少の世界よりもはるかずっと大人なほうへ、遠いところに居るんだろうなという想像があるから、15年以上前の彼らと今の自分がシンクロしていることになぜか恥ずかしさを覚えて不必要なほどの置いてけぼり感を感じているんだろうと思う。実際彼らがどう変わっているのかいないのか(変わってないことはないだろう)、知るのが怖いようだが実際のところどっちでもいいんです。今の音を聴けたら何かが埋まるんじゃないかなーという気がする。ちったあ素直になれるような気がする。もとより晴れた空見れば、天使のひとつやふたつ降ってくるんじゃねえかと変な装置を担ぐ女の子が近くに居そうで目が泳ぐ。充分か…。
 復活後のアルバム「新人」は知り合いに頼んで取り寄せ中。あとは、ネットがあってよかった。ライブの模様や空気を伝えてくれる人達がいる。

夜を走る

 久々に散歩がてらゆっくりと回り道をし、写真撮ったりし、いい汗かいたとスッキリ帰宅。さらに良い時間をのほほんと過ごすべく、まずはひとっ風呂とタオルを首にかけたところにメールが来た。「イマツキマシタ!」。ハ?どこに?
 2秒後に気づいた。まさかライブ? ……。既に開始予定時刻じゃん。チケット職場に置きっぱじゃん。2段階必要じゃん。今から動いてタクシー飛ばして、まあ半分聴けるかどうか…。
 全身でのほほんタイム満喫の構えであった私はあっさり友とライブを捨てた。一応現地に電話して「楽しんでね」。そしていったん首から外したタオルをまた装着し、部屋着を持ってバスルームへ。次の瞬間バスルームを飛び出しフラットの中を駆け回り、5分後道路に飛び出してタクシーをつかまえ、職場でチケット拾って一路スタジアムを目指した。5曲目あたりから参入。メールで気づいてから30分ちょい、我ながら迅速だった。ロックかと思ったらブルースで驚いたが、良いライブでCD買ってしまった。よかったよかった。お陰さまで結果的に、仕事あがってからほんの4時間の間にいろんな景色を見て長い距離を移動して、実に濃い時間を過ごせた気がする。
 しかし反省しなきゃいかん。お前は諦めが早すぎんだよいつも…。頑張ってみようよたまには…。のほほんタイム続行とGoライブの狭間のなんと危うかったことか。  

笑顔の食卓文化 ニコニコのり大判サイズ

 密封パックを開ける。海苔を1枚出す。間髪入れずパックを閉じる。出した海苔を脇目もふらず折る、迅速かつ折り紙のように丁寧に。一枚ずつ切り離す。後半になるにつれ、攻め来る敵の存在が刻々と手肌に伝わる。最後はもうふやけて折り目が用をなさなくなってきているところを指でちぎる。終わって20秒。数枚のふにゃふにゃ海苔を手に、今回は空気中のお水ちゃん達に少し負けたことを認める。
 BGMには筋肉少女帯。同居の男の子達はこの人最近どうしちゃったんだろうと思っているんじゃないか。PCに音を残しておいたのが間違いだった。数年前に知り自分とのあまりのフィット感に笑かしてもらった、ところで止めておいたものにこの年齢にして盛大にやられてしまうとは何たる無様か。油断の隙を突かれ、絡めとられて1週間。だが3日で疲労困憊した。筋少と張れる体力気力がもうないのだというのを実感させられる、のみならず、要はこーいう音楽はヤングが共感するものであってそれを青春の記憶とか懐メロとしてでもなく今更リアルタイムでどっぷりいっている自分というものにもやられているのである。彼らの音源は当地では手に入らないので、彼らのナウな音も聴けない。 PCが古くネット動画はブツ切れ。物理的なところで薬は常備3種類、が今私を嬉しがらせている筋少との共通点だ。
 彼らも疲労困憊して終える前に、なんとしても一回はライブに行きたいな。

come into my life

 
ひとりになっていくこと ひとりになってしまうこと その恐怖が、さらに自分をひとりにしていく。そんな時に、海を飛んで届いた知らせ  海の向こうで、友人達が、思いもかけない形で私を契りの場に参加させてくれていた。私は気づく 私は持っているということを。
忘れるな。忘れて自分を壊すな。
ひとりだけど、ひとりではない。けど、ひとりだ。だけど、ひとりだけではない。ひとりだけど。この繰り返しで生きていく。自分を生かしてくれる人達に生かされながら。
今日こそは早く寝よう。